東光寺の鬼会式

田遊び・鬼会(鬼追い)の面

・田遊び


・裏面

・鬼会(鬼追い)

・裏面

歴史

 東光寺田遊び・鬼会は起源は不明であるが永禄2年(1559)から慶長4年(1599)の約40年間程、中断したという記録があることから、室町時代末期にはすでに行われていたと思われる。
その後、南の坊住職長慶が田遊び面を三面、鬼面を二面彫り、行事を再興したものの、元禄4年(1691)から享保2年(1717)の間も中断したといわれている。
天保13年(1842)9月下万願寺庄屋、森八重郎や北の坊金剛院主演心等によって、古面を模して田遊び面を三面、鬼面を二面が作られた。これが現在田遊び・鬼会に使用されている面で、面の裏に銘等が刻まれている。兵庫県下において、現存するただ一つの伝統芸能であり、重要無形民俗文化財の指定を受けている。
現在、田遊び・鬼会は、毎年1月8日に上万願寺町・下万願寺町の両町で執り行われていますが、当日まで準備に多くの手間と日数を必要とします。

田遊び

 稲の豊作を予祝する芸能で、社寺の境内で田打ち・代掻き(シロカキ)・田植えなど収穫までの行事を模擬的に演じるもので、正月に行われる地方が多い。県下ではこの東光寺のみ行われている。東光寺での田遊びは、苗代に種を撒き育てるまでの行程で終わっている。
 鬼部屋より松明持ちを先頭に福太郎・介添人・福次郎・介添人・松明持ち四~五人の順で、福太郎・福次郎は腰に扇子を差し、左手で木鍬を左肩に担って礼堂へと出て行く。礼堂では介添人が福太郎の右手を持ち右回りに進みながら、唱えごとを歌う。礼堂を一周すると中央前方に進み出て、本堂を背に福太郎・介添人・福次郎・介添人の順で四人が一列に並ぶ。肩に担いだ木鍬を降ろして、地唄に合わせて田を耕す仕種をする。
 一回目の地唄が終わると福太郎・福次郎は木鍬を左肩に担いで、四人が右回りに進み本堂に向かって一列に並ぶ。先ほどと同じ地唄を歌い田を耕す仕種をする。終わると、四人は礼堂の床に座る。介添人は片膝をたてて座る。
 四人が座ると内陣から田主が四人に向かって祝いの唱えごと述べる。田主と介添人の対話が終わると、四人は立ち上がり、懐中にもっていた半紙を取り出して、周囲の参拝者に向かって唱えごとをいいながら中の米を蒔く。この種まきの動作が終了すると、福太郎・福次郎は本堂に直行して向かい合って座り、共に左足を投げ出して足裏をあわせる。
 介添人は右側に右足を立て膝して座る。福太郎・福次郎は縄を綯う仕種をする。介添人はその両手の上から縄を綯う動作の補助をする。縄を綯う動作を終了すると、四人は立ち上がり、介添人が福太郎・福次郎の左肩に鍬を担わして、右手を握ってゆっくりと福太郎から田んぼを見回るような動作で右に大きく礼堂を一周する。途中で、介添人は福太郎・福次郎の腰に差している扇子を取って、鍬の柄を打ちながら地唄を歌い、外陣内を回る。
 最後の節になる頃に、四人は西の出入り口から本堂裏を通って鬼部屋へと戻り、これで田遊びの行事は終了する。
 田主役の住職を残して田遊びの諸役は庫裏に戻り、着替えをすませて再び本堂に戻り鬼会に参加する。

鬼会(鬼追い)

 田遊びの行事が外陣で行われている頃、鬼部屋では青鬼・赤鬼の面をつける準備をする。青鬼は鉾を持つために面はつけたままの状態になるので、しっかりと顔にあてがい強く締めつける。頭の上から厚手のタオルを二枚あてるが、終わって面を取ると紐の跡がくっきりと残るほどきつく締めつける。面の眼の部分から前方がすこししか見えないので外陣での行動はすり足状態になる。赤鬼は木槌腰に差し、松明を持つのみで、片手が空くために常に面を持つことができ、行動が比較的楽である。田遊び終了して鬼部屋に戻ってくると、先に警護を兼ねた世話役が松明を持って外陣の主要な位置に着く。
 宮委員に先導されて、松明を持った赤鬼が東の出入り口から外陣に進入し、青鬼も鉾を持ってそれに続く。外陣では両鬼はすり足で大きく右回りに進む。鬼が外陣に出ると、待ってたとばかりに「鬼ん子」と呼ばれる子供達が棒で床を打ち鳴らしながら「鬼こそ鬼よ、西下の鬼よ」とはやしたてながら、鬼の前後をつきまとう。最初の二回は外陣の周りを二周はどすると、すぐに西の出入り口から、本堂裏を通って鬼部屋に戻る。鬼が外陣から鬼部屋に戻っている間、鬼ん子達の棒打ちが始まる。鬼部屋の松明係は壁に取りつけてある荒縄に結び目を一つ作る。この結び目の数で外陣に出た回数を確認する。一息入れると、また、松明を先頭に東の出入り口より出て行く。この行為を三回もすると鬼の動作が少し荒くなってくる。これから東の最後の回まで徐々に外陣にいる時間も長くなる。前半の最後には(閏年は東から七回、西から六回の合計十三回)、動作が激しくなり、赤鬼は松明を吹貫柱に叩きつける動作をする。松明から火の粉がバラバラと床に舞い落ち、青鬼は鬼ん子達を鉾先追いかけるような動作をする。
 前半が終わると赤鬼は松明を世話人に渡し、腰にある木槌を手に持って、青鬼の鉾と同時に西の大鏡餅を打ちつけ餅を割る仕草をする。この時、鬼ん子や、周囲にいる世話人から大声で「鬼こそ鬼よ、西下の鬼よ」と囃したてられる。西の大鏡餅が終わると、次は東の大鏡餅のところに行き同じ仕草をする。西の出入り口から鬼部屋に戻り休憩する。鬼部屋では世話人達が鬼の面の付け具合や体調を聞き後半の準備にかかる。
 後半は、西の出入り口から礼堂へ進入する。同じように右回りに進むが、前半と違い、赤鬼は吹貫柱に松明を激しく打ちつける。周りに火の粉が飛び散る。松明が消えるとすぐに世話人が次の松明を渡す。鬼部屋からは次から次へと松明が出て行く。青鬼は縦横無尽に鉾先を向けて暴れ回る。適当な時間に宮委員は東の出入り口から赤鬼を誘導し青鬼も続いて鬼部屋に戻る。鬼面が重たく回を重ねるたびに激しく暴れ回るので、鬼部屋で休む時間が長くなる。
 後半の六回目が無事終了し鬼部屋に戻るとすぐに面を解いてやる。道具箱に鬼面等一式納めると、宮委員を先頭に頭上に掲げて本堂を後にして庫裏に戻る。庫裏の玄関から草鞋のまま座敷へと上がり、道具箱を置くと再び、宮委員とともに本堂に戻る。
 本堂内陣結界に取りつけてある大鏡餅の荒縄を切り、各鬼が背中に背負い、暗い階段を用心して庫裏まで戻る。座敷で鬼の装束を解くと、寒い一月の行事とはいえ、両鬼は汗だくになっており、すぐに庫裏の五右衛門風呂に入り汗を流す。

餅まき・鬼の花

 区長や来賓による餅まきが行われている。(平成十九年は前後半の間)
 礼堂両柱の椎の木につけてある、鬼の花の争奪が行われる。(平成十九年は後半の最後鬼が戻った後)宮委員の合図によって青年が椎の木に飛びつき上部の枝を引きちぎる。大きな枝が礼堂に落ちてくると、鬼の花の奪い合いである。鬼の花を取った青年は高々と花を持ち上げて本堂を去る。取れなかった人たちは、椎の木の小枝を折って家に持ち帰る。以前はこの小枝もカマドにくべると一年の厄払いになるといった。鬼の花は穢れを払うといい、昔は不幸が出たとき、この花をカマドにくべ穢れを祓ったという。