由来と歴史
古くは在田上荘に属し、満願寺村と称した。地名は白雉2年(651)法道仙人開基の満願寺という天台宗の名刹があり、天文7年(1538)12月4日兵火にかかり全山焼失した。この寺号が地名の起源という。慶長播磨国絵図(天理図書館蔵)では上下2ヵ村に分かれておらず1村で村名には「万」の字を用いている。
安永3年(1774)には上道山村・下道山村・大内村の3ヶ村と上万願寺村と下万願寺村との間に入会山をめぐる山論が起きている。
神社は、元和年間(1615~24)姫路藩家老村上氏が再興した若一(にやくいち)神社(もと若一王子大権現)と八坂神社がある。
寺院は、金剛院と東光寺がある。金剛院は、白雉2年(651)法道仙人が開基、元禄初年改宗(それ以前は天台宗)し真言宗有明山万願寺金剛院となる。東光寺は、万願寺南の坊であった天台宗有明山東光寺でもと有明山満願寺と称し同薬師堂は天文7年12月(1538)赤松氏の兵乱で焼失。天文10年(1541)に再興され寺名を改めるとともに熊野権現を勧請したので地元では宮寺とよばれる。
その後、享保12年6月(1727)改築したが又もや荒廃したので明治12年4月(1879)大修理を行って現在に至っている。また、豊作予祝の祭りである田遊びと鬼会が伝承されているが、記録では永禄2年より慶長3年(1559~1598)まで中断、それを南坊長慶なるものが鬼面5個を自作し慶長4年正月8日(1599)からその式を再興した。しかし、またもや元禄4年から享保元年(1691~1716)まで中断、享保2年からまた再興し現在に至っている。なお、現在の使用している鬼面は天保13年9月(1842)
に森八重朗なるものが改作したものである。